50年前に遡るデジタルノマドの起源 03|ヒッピーとは?人生とは計画を立てている間に起こる他の事柄である。

人生とは計画と立てている間に起こる他の事柄である

ジョンレノンの名言。これも僕の好きな名言の一つ。ほんとそうだといつも思う。一生懸命頑張っているのに、別の関係ないちょっとしたことが全てを前進させてしまう。知られざる誰かの手によって動かされているかのように。旅は人生を早送りで体験するような気分を味わせてくれる。それは、毎日が冒険で、あらかじめ予定していたことが思った通りに完結することとは違って、予定調和が一切ない。つまり一寸先は光、お先真っ白なのです。そうするといつも予想だにしない驚きの体験が待っている。それをセレンディピティと呼ぶかもしれないし、波に乗るというかもしれない。バイブスを感じるというかもしれないし、直感に従うというかもしれない。

どうなるかわからないが、とりあえずやっちゃえみたいなノリだ。旅はそれを全力で可能にしてくれる。そしてその旅できっても切り離せないのがヒッピーの生き方。彼らの人生はいつも計画を立てている間に起こる他の事柄である。

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ヒッピーとは

ヒッピー(英: Hippie)は、伝統・制度などの既成の価値観に縛られた人間生活を否定することを信条とし、また、文明以前の自然で野生生活への回帰を提唱する人々の総称。

 「正義無きベトナム戦争」への反対運動を発端とし、愛と平和を訴え徴兵や派兵に反発した若者達がヒッピーの中心である。戦争に反対し、徴兵を拒否し、自然と平和と歌を愛し人間として自由に生きるというスタイル。初期は薬物による高揚や覚醒や悟りから出発し、各地にコミューンと呼ばれるヒッピー共同体が発生する。若者を中心に爆発的な人気を誇ったロックバンド「ビートルズ」によるインド巡礼やマリファナやLSDを使用した精神解放等により全米・そして世界へとそのムーブメントは広まっていくことになる。参照wikipedia(ヒッピー)

資本主義競争社会を否定したヒッピー は、2つの生き方を選んだ

特にベトナム戦争反対を期にヒッピームーブメントはスタートする。資本主義経済社会を抜け出して、拡張家族として助け合う、ある意味共産主義的な思想を持つ。彼らは自らの居場所を求め大きく分けて2つの生き方をを選んだ。

1. 社会と関わることのない、自給自足する「ヒッピーコミューン」

ヒッピーコミューンは彼らの理想の思想のもと、自給自足を目指した。自分たちで家を建て、居住エリアを整え、電気はソーラーパネル、水力等を使い発電し、作物の自給率を100%にするべく農作をし、家畜を買い、自分たちで生活を自給することを目指すコミュニティ。みんなで食事をし、縛られない自由な時間を自給することで担保した。古いカトリックの価値観から解放されて、ヌードやドラッグ等を積極的に受け入れた、性同一性障害もこの時受け入れられLGBTが理解されるきっかけにもなった。同じ異性と一生一緒にいるという結婚制度にも疑問を覚え、オープンリレーションシップという、特定のパートナーがいてもその他の異性と関係性を持つという価値観を作り出した。生活全てを自らクリエイトし、その生活自体もまた表現するという非常にクリエイティブな暮らしがそこにはあった。そう現在よく議論されている価値観の多くは、60年代のヒッピー達が生み出してきた価値観のリバイバルなのだ。

2. 都会を離れ、旅に出た「旅」が彼らの日常になっていった。

前者は失敗に終わった。世界中にできたヒッピーコミューンのほとんどが今はもう存在しない。その大きな理由はやはり、社会性を失ったからである。理想の共同幻想ではあったが、あまりにも社会に対する反発の意識が強い初期の60,70年代のヒッピー達は、極端なまでに資本主義経済社会を否定し、あくまでも自給自足を目指した。もちろんお金が全く必要ではなかったわけではないが、居住エリアを整え、電気はソーラーパネル、水力等を使い発電し、作物の自給率を100%にし、家畜を買い、ほとんど生活に必要な仕組みは自分たちで自給することが可能になったコミュニティもたくさんあった。

しかし、経済活動を一切しないことで、街にいくための車を使いガソリンを買い消費することさえも悪としてしまった彼らは次第に社会性を失い、そこに住む人間関係が循環していかいことによるマンネリを迎えてしまった。面白いことは彼らの子供達はそのヒッピー的暮らしに嫌気がさし、逆に都会へ行き、広告代理店やテレビ局に就職するということがしばしばあった。

後者は逆に大成功を治める。ヒッピーカルチャーが幅広く広まるのはここからだった。

ヒッピーネットワーク

何百万人という大きなヒッピームーブメントはあっという間に世界に普及し、世界中のヒッピー達が旅をして、世界中をくまなく冒険し続けた。彼らはいくつかの共通したルールを持っていた。

一つはファッション。彼らはヒッピーファッションと呼ばれる格好をすることでお互いを認識できるようにした。そうすることで知らないヒッピー達同士もすぐに仲間になれた。例えば、ある日突然目が覚めると知らない国の知らない街角にいたりする。それでも、僕ならヒッピー達を探すだろう、見つけた時にはすぐにハイタッチをし、彼らはきっと僕を家に泊めてくれるだろうし、次の目的地にいく仲間も紹介してくれるに違いない。実体験としても今までそれがもはや当たり前でしかないレベルでそうだし、僕自身みんな仲間だと思っている。

二つ目は口コミのネットワーク。彼らは世界をくまなく旅をしてお互いを助け合った、その中で常に情報交換がされている。つまり世界規模の口コミネットワークができているのだ。しかもそのネットワークの一人一人は常に移動しているので、世界の反対側の情報が瞬時に伝わる。こんな巨大なネットワークを60年代に持っていたのはおそらくヒッピーシーンだけだろう。例えば、世界で最も美しい湖と呼ばれるグアテマラ のアティトランは当時はマヤ先住民しか住んでいない田舎の村だった。周りはコーヒー畑と、トウモロコシ畑しかなかったこの湖の周りにヒッピーが来始める。ヒッピーの面白いところは、こういう全く文化も経済レベルも極端に違う先住民とでさえ仲良く共存できたことにある。ここに起業家や投資家は間違ってもこないしこれないだろう。そんなヒッピーが集まり小さなカフェができて、やがてゲストハウスができ、ヒッピーのネットワークを通して世界中から世界一美しい景色を見るためにヒッピー達が訪れるようになる。これが現在リゾート地ができてくるきっかけになる一番最初の段階だ。世界の多くのリゾート地はヒッピーがその強力なネットワーク力によって開拓してきたものだったのだ。

Lago Atitlan in Co-Re! Retreat

次回→いかにしてヒッピーはこの強力な口コミネットワークを作ることができたのか?なぜそれが可能だったのか?「レインボーギャザリング」という祭典が画期的な方法でそれを可能にした。


現在進行中のプロジェクト

〜世界中が居場所になる「ファイナルランド」を作る〜

現在進行中、村づくりエンタメ番組「#かくめい」

https://www.youtube.com/user/KakumeiMinna

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